親の葬儀とその後問題

2010年9月18日 (土)

一周忌

四十九日をぷよすけの新型インフルエンザで欠席した為、それこそほぼ一年振りの名古屋(汗)。

 通常、一周忌と言えばそれなりに色々と区切りにもなるのだろうが、うちの場合、
 店→片付け終わっていない
 骨→納めていない
 と、区切りどころか単なる通過点でしかない(爆)。

 まぁ、誰にも迷惑かけてないし、別にいい。
 決めるのも(本来は)義母であり、自分は口を出すような問題でもない。
 出来る事は手伝いますよ~という、今までの通りのスタンス。

 そんな色々通過中な中でも嬉しい事もあるもので。
 義妹さんの結婚が決まりました。
 んで、うちのぽんぷよーずにフラワーガールして欲しいとのご依頼を賜りました。
 2回目だ、いいなぁ(笑)。
 ははなんか、子供の頃に結婚式なんて出席した事、一度もないぞ。
 ましてやドレスを着せてもらってフラワーガールなど…こなせたとも思えないけどもさー(笑)。

 ぴいきちもと言われたのだが、そんな式当時2歳1ヶ月予定の奴には絶対に無理だと、お断りさせて頂きました。
 折角のお式をぶち壊す勇気はありません。いやホントに。

 という訳で、11月が楽しみ。

2010年1月22日 (金)

介護認定

電話攻撃に困り果てていたところに、昨年末から申請していた介護認定がやっと下りた。

 今までは民間の介護サービスに頼んでいたのだが、それも来てくれる人と合わないとかなんとかで、玄関先で断ったりしていたらしい。
 それでいてこちらには電話攻撃に出たりするから、もう何をか況や、てな具合。
 公的機関が出てくれば、多少は神妙に受けてくれるかなぁという淡い期待の一つも抱きたくなるのが、家族の切なる心情なのだ(涙)。

 体は問題なく動くので、当然要介護にはならない訳だが、精神と体調不良の独居老人という事で、要支援となった。
 家事食事の補助に加えて、医者にも連れていってくれる事になったようだ。
 こっちにいた時は、心療内科から胃腸科から、とにかく逃げてたもんなぁ(汗)。
 昔の人だから、心療内科なんて怪しいと思ってたのかもしれないけどさ。

 取り敢えず、面倒を見てもらえる事になって、一安心だ。
 それにしても親の介護って、例え離れていて実際に携わらないとしても、これだけ消耗させられるものなんだなぁ、と嘆息する年明け。
 まだ1月。先は長い。

2010年1月18日 (月)

朝の電話

参った。

 相方は、本当なら年明けに名古屋へ行く予定だった。
 それがインフルエンザに腸炎で行けなかった訳だが。

 それが原因で義母の変なスイッチが入ってしまったらしく、電話が来るのだ。
 朝の7時半に
 幼稚園、小学校の子供がいる家庭にとっては、一番忙しい時間だぞ。

 うちの場合、相方もギリギリいる時間、即ち家を出る時間。
 そこへ電話をかけてきて何の用かと思えば、「どうしたらいいのかわからん」だそうだ。
 何もしなくてええちゅうに。

 そして最終的に、ヲレの知らない人から電話がかかってきた。
 「私、義母さんの従姉妹なんですけど」
 はあ。
 「義母さんが朝から電話をかけてきてね、様子を見に来てるんですけど」
 はぁぁあ?

 息子に言っても来てくれない(と言うか、移す訳にはいかないんだから当たり前だよ)事で更に変なスイッチが入ったらしき義母、親戚を使って訴えるという荒業に出た_| ̄|○

 絶不調の相方によれば、朝の6時半から「息子の所に連れていってくれ」と親戚に訴えていたらしく。
 先週はインフルエンザ、今週はウィルス性腸炎だと説明したのはスルーですかそうですか。
 何も関係ない親戚にまで病状を説明した相方、お疲れ_| ̄|○

 既に他人に迷惑をかける域まできている現状、どうしたもんかなー…。

2009年12月28日 (月)

納めたい仕事

世間では仕事納めなんですかね。
 我が家の仕事はさっぱり納まりません_| ̄|○

 進捗状況と言えば。

 お金関係…やっと半分くらい。
 お店関係…書類は段ボール(大)2箱くらいまでに減らせた。
        お店の在庫の処分は半分くらい。
        工場やお店を返すところまではまだまだ_| ̄|○
 義母関係…一応介護関係のサービスを頼んだのだが、進展はない。

 亡くなった義父のルーツに関しては、昔の手紙や戸籍謄本が出てきて、少しわかってきた。
 義父の兄弟は姉、義父、次男、三男、四男の5人。
 終戦後に満州から引き上げてきて義父の父の実家に一旦戻り(これが岐阜らしい)、少しして義父の母が亡くなった。
 その後、義父の父、次男、四男はなんとブラジルに移民。
 義父の父はそのままブラジルで亡くなったようだ。

 つまり義父の弟達は今ブラジルにいるという事なのだが、肝心の連絡先は皆目わからない(汗)。
 お葬式に来てくれたのは日本に残っている三男さんな訳だが、この人も知らないらしい。

 更に、次男の人は平成の世になってから、自分の娘と日本に出稼ぎに来ていたらしい。
 同時期に四男の人の娘も、出稼ぎに来ていたらしい。
 つまり、相方には見たこともない従姉妹がいるという訳で。

 カオス過ぎて、どうしたらいいかわからんちん。
 ブラジルの領事館とかに言えば、連絡取れるのかしらん。

 あぁあ、全ての事を1周忌くらいまでには片付けたいなぁ…。来年の希望。

2009年12月 2日 (水)

喪中葉書

今年は喪中なので、当然喪中葉書を発送しなければならない。

 名古屋に戻ったはいいが、相変わらず「私は何もわからんのだわー」で暮らしているらしい義母。
 当然、喪中葉書など作れるはずもなく、お鉢はこちらに回ってきた。

 しかしながら、葉書そのものは外注するとしても、出す人を決めるのだけは義母にやってもらわねばならない訳で。

 相方の話からすると、それすらも「わからんのだわー」で済まそうとしたようだが、何とかかんとか去年の年賀状を探させて、提出させた。

 その後、入力した住所録を確認させようにも「わからんのだわー」
 住所録をファックスで送ろうにも「(プリントアウトの仕方が)わからんのだわー」
 郵便で送った住所録の最終確認をさせようにも「わからんのだわー」

 ヲレなんか、顔も名前もわからない人のリスト打ち込んでんだけど。
 土地勘なんかいっこもない住所のデータ不備をチェックしてんだけど。
 誰が親戚で誰が友人かもわからないのに、お葬式の時の芳名帳とつき合わせたりして、補足してんだけど。

 超地元の親戚や友人の住所リストに対して、何が「わからん」なのだかさっぱりわからんわ!

 キレてやろうかと思っていたその時、義母と電話でやり取りをしていた相方が盛大にキレた。
 「そんな事言って、ヨメの方が何一つわからないのに住所打ち込んでチェックまでしてるんだぞ!出すか出さないかくらいは自分で決めろ!」

 後で話を聞いたら「○○さんと××さんも出さなくちゃいかんかねぇ」「出すんだったら言ってくれればリストに足して貰うから」「でも私にはどうしたらいいかわからんのだわー」とやらかしたらしい。

 何かもう、怒るとか呆れるを通り越して、羨ましくすらある。
 「私にはわからんのだわー」と言っておけば、誰かが全部やってくれてた70年間を送ってきた事が。
 自分で自分の事をやる、という自由すら、この人はわからないんだろう。
 自由を求める自我など、今更沸かないだろうし。
 爪の先程とは言え、自我もある自分は、自分の足で立つ為にもがく事を選びますけどね。

 という訳で、たった100件の住所データを前に、どんどん時間だけが過ぎていく師走の日々。
 すっごい無駄。

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ひたすらに待機中。

2009年11月14日 (土)

法事ぶっちぎり

本当なら、今日は名古屋に行く予定だった。

 そう、義父の四十九日の法要なのだ。

 しかし、今回新型インフルエンザ騒動が勃発してしまい。

 ぷよすけ…勿論行けない。
 はは…看病で行けない。
 ぴいきち…ははの付随物なので行けない。

 ぽんただけでも、相方と行かせるべきかなぁとも思ったのだが、よくよく考えてみれば奴も学校閉鎖中の要・観察対象な訳で。

 結果…相方一人が参加。

 まぁ、相方だって家族内で感染者がいるので、どうかと問われれば悩んでしまうのだがね。

 それにしても、申し訳ない気持ちでいっぱい。
 次の法事はいつだ?納骨か?きちんと行きたいものだ…。

2009年10月19日 (月)

義母帰る

んで、この週末、相方、義母と三者面談を実施。

 義母的にはホームシックで限界らしい。
 いい大人が…と思わなくもないが、それにしても70年近く名古屋から出た事がない人なので、それも仕方ないかなぁ、とも思う。
 増してや、今は一番心が弱っている時だし。

 この同居期間で何となく察したのだが、どうやら義母は中途半端にお嬢さん育ちのようだ。

 相方の実家つまりは義母の実家は自営業なのだが、昔はそこそこ大きい規模でやっていたらしく、住み込みの使用人が数名いるような時期もあったらしい。
 そんなおうちから出た事もなく、家業が普通の夫婦経営のお店規模になっても取った婿だけはきちんと残った義母は、「誰かにやってもらう」のが基本。

 しかし、同居先のヨメには「やってやらねばならない」存在が、3人もいる訳で。
 「やろうと思えばできるはず」の大人に貸せる手は、ない。
 ないなりに出来る事は協力しようと思うのだが、家業の事や義父の事を尋ねても、返ってくる答えは「私は何もわからんのだわー」
 旧きよき時代(勿論義母にとって)を全く知らない私の方が、更にわかりませんけど。

 そしてお嬢さん育ちでお上品な義母は、決して要求を自ら口にしない。
 口にせず、察して欲しいという空気にする。
 まぁ、使用人とかヨメとか、大人に対してならそれでも良かろうが、子供に対してもやるから困る。
 だって子供って、基本的に空気読めないからさ。
 空気が通じなくて、それで更にストレスを溜めてる様子もあるのだが、同情はできない。

 「私は何もわからんのだわー」と言いながら、無言で察してビームをぎゅんぎゅん放ってくるお嬢さん気分のままの義母は、貧乏でがらっぱちに育ったははに取って異世界の存在でしかない。

 という訳で、一言で言えば「相容れない」という事を延々ぼやき続けているははもまた、結構限界は近いです。
 「このまま同居しても良くはならない」というのはお互い空気としてありまして、この週末に義母は名古屋へ帰る事となりました。
 悪いけど、素直に嬉しいです。
 これで河合その子プレミアム聴けるぞー(そこかよ!)

2009年10月17日 (土)

区民祭の恨み

毎年恒例の、区民祭へ行く。
 義母と実母が病院へ行ったのは気になるが、それでも行く。
 子供達の息抜きといいつつ、自分が一番息抜きしたいんだよぉぉぉ(切実)。

 …と思っていたのだが。

 会場に着いた時に、携帯電話に着信がある事に気づく。
 義母の病院に付き添った母からであった。
 しかし、留守番電話に入れられていたメッセージは慌てているようでイマイチ要領を得ず、母や義母の携帯電話への連絡もつかない。

 仕方がないので、何一つ買わずに一旦帰宅。
 ぶーぶー文句を言うぽんぷよーずはマンションの公園で遊ばせてガス抜きさせ、休日出勤中お疲れちゃんな相方に連絡を入れる。
 行った筈の病院の電話番号を調べて、様子を聞いてもらう事に。

 ほどなく電話が返ってきたのだが、その脱力する答えは。
 「名古屋にいる時と違う薬を使われそうになって、パニックみたいな発作を起こしたらしい」

 どう解釈してよいやらわからなくて呆然としているうちに、母とも連絡がついた。
 「名古屋のお義母さんが、パニックみたいになっちゃって」
 それは如何なる経緯を辿ったんでせうか。
 「その場で使う薬を見せられた時に、『名古屋で使ってた薬と違う!怖い!』って言い出して、最後には『名古屋に帰りたい』になった」

 …たった2週間の同居生活であるが、なんかもう色々と限界が近づいてきている気がするヨメなのであった。

 因みに、母は携帯を忘れて出かけたらしい。頼むよ。

2009年10月11日 (日)

書類を検分する

この週末は相方と義母が名古屋に行っていたので、ついでにぽんぷよーずもうちの実家にお泊りさせて、書類の段ボールを少し整理した。
 何せ4箱あるから、とにかく減らしたい。
 この週末は名古屋も引越しで、その際に発見された新たな書類や相方の本も来るというから、猶更だ。

 で、見てたんだけども、義父の書類。

 家の事、お店の事など、ある程度の分類はされていた。
 しかし、その分けられている中はしっちゃかめっちゃか
 整理を途中までやって、力尽きて面倒になってやめちゃったという感じ。
 それが幾つもいくつもある_| ̄|○

 だから整理するこっちも、分類されているところはさくさく進むけど、されてない部分に到達するととたんに足踏み…。

 お店も戦前から続いているようで、義父が継いだ頃からの書類まで残っている始末。
 義父が継いだ頃って、昭和30年代だかんね。
 それを「義父が使っていた書類」として、手身近な所に取ってあるんだかんね。
 納品書とか家賃通帳くらいは、自分で処分しといても良かったんじゃない?

 因みに更に古いものは、ちゃんと家の方に残っているそうだ
_| ̄|○
 物持ち良すぎ。

 引越しもしたのだから、借家の店と作業場はとっとと引き払いたいのだが、いつ頃きっちり片がつくかなぁ…。
 目の前の段ボールを見るだに、1年くらいは余分に家賃を払わざるをえなさそうな気がしてきて、一人嘆息する夜なのであった。

2009年10月 9日 (金)

本籍あっちこっち

本格的に、諸手続きを進め始める。

 何にせよ、先立つものはお金という事で、そちらを優先的に。
 葬儀代の支払いという、切実な問題もある訳だし。

 銀行に連絡した時に、一番言われたのは戸籍謄本について。
 「原戸籍を取ってくれって言われた」
 あれハラコセキって読むの?ゲンコセキかと思ってた。
 「生まれた所まで遡らなくちゃいけないんだって」
 …生まれた所っていうと、満州ですけど?
 「取り敢えず、今の本籍から辿っていってくれれば分かるって」
 ほんとかよ。

 で、お役所に行く為にわざわざ仕事を休んで、平日に名古屋まで行った相方。
 現地から電話がかかってきた。
 「名古屋市内の別の区に前の本籍地があったから、そこ行ってくる」
 N区○○だろ。
 「…何で知ってんの?!」
 今書類を整理してたら、「本籍地」って書いてあるメモ書きが出てきた。
 見ただけじゃ、誰の本籍なのかさっぱりわからんかったけど、お義父さんのだったんだね。

 そして2時間後、再び電話がかかってきた。
 「次は岐阜だって。また休み取って行かなくちゃ駄目かなぁ」
 あのさ、戸籍謄本取るだけなら郵送してくれると思うよ。
 事情を説明した手紙と、定額小為替入れて、あと今は本人確認とかもいるかも知れないけど。それで95%は郵送してくれる。
 「あんた何でそんな事知ってんの?」
 バイト先でそういう業務してたから。
 「で、送ってくれない5%って何?」
 T都S区。だから岐阜なら大丈夫だと思う。
 「…よく知ってるね…」

 という訳で、今日一日だけでは義父のルーツは辿れなかったのであった。
 出来れば、亡くなる前に全て明かしておいて欲しかった…。

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